せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200625日記 おはし

・6月25日……。別に祝日とかも無かったのに、もう引くぐらいのスピードで6月が終わろうとしている。なんでこんなに速く感じてるんだ私は。歳のせいにするには早すぎるぞ。ううん。

 

・箸の持ち方が話題になってた。ここで言う『話題になってた』とはTwitter上でのことだけども、なぜか誰も彼もが発端となったツイートをRTもせずに急に箸の持ち方について話し始めるものだから、多少戸惑った記憶。理由の分からないシンクロニティは変に怖い。

 

・私は親から食事のマナーについてはわりと躾けられた(一般的な範囲だが。おフランス料理のテーブルマナーなどはチンプンカンプンである)のと、今となってはよく分からないが幼少期に「おはしはただしくもてたほうがカッコイイ!」と信じ込んでいたのもあり、現在に至るまで『正しい』持ち方を実践できている。あの小学校あたりでやる、小豆や大豆を箸で移動させるやつもそれなりに出来ていた……はず。

 

・話題によくなるのは『箸の持ち方を指摘するか』なんだけど、友人に1人とんでもない持ち方をしてくれる奴がいて、それに関しては指摘というか言及、まあ白状するとイジった覚えがある。あれはなんて言うのだろうか(正しくない持ち方に名前がついてる気もしないが)、握ってもいるしクロスしてもいた思い出。なんか中指と薬指の間から一本箸が突き出ていて、あれは逆にどう箸を操っていたのだろう。

 

・さほど仲良くない人に対して箸の持ち方を指摘することはない。そもそも視界に入っても気に留めないというのもあるが、たぶん気付いても言わないと思う。これは不快にならないとかではなく、むしろ自分がなまじ『正しい』持ち方を躾けられただけに気付いてしまったらイライラさえすると思うが、それでも指摘することはないだろう。立場が下の相手でも? たぶん、それでもだ。

 

・というのも、世間の一部……というか『箸を正しく持たない界』には『指摘してくる人間』のことを『偏屈あるいは狭量、もしくは古い価値観を持つ、総じてめんどくさい人種』と判断する空気がある、と勝手に感じとってるから指摘しないのだ。それが指摘しない理由の全てではないが、その側面は確かにある。

 

・思ったことをそのまま書いてしまうと、不公平だよな。なんだろう、なまじ『正しい』ことをしてるから『正しくない』ことが目について不快な思いをする。だけどそれを表明すると不快感は相手にも生まれ、その責任はなぜか言及したこちらにあると判断される。一対一だとどちらもが責任が相手にあると主張するから、『正しい』はずのこちらが『正しくない』相手と同じだけ(その場において)『正しくない』ことになるのだ。

 

・今はずっと『絶対的に正しい箸の持ち方』がある前提で書いているが、発端のツイートは「そんなものは実はない」みたいなことを書いてて、そうなると↑の不公平感はこちらが勝手に感じているだけとなる。で、発端のその意見についてだが、言いたいことはわかるがあまり賛同できない。箸という道具は『そう』使われる、持たれる道具で、そこを逸脱したら『正しくない』と評されるのは当然じゃないか。とはいえ、その『正しくない』に対して「食欲が失せる」「不快だ」と感じ、表明することのどちらもを『正しい』とする風潮にもまた賛同はできないが。